改革への熱意ある行動はみられるか

2011年11月04日

年金支給が始まっている団塊の世代以上の方にとっては特に、年金については気になる話題である。つい先日も、「もうすぐ誕生日だから年金額が上がる」と嬉しそうに話す方がいた。詳しく聞くと、次の歳から支給額が増えるというのだ。
生年により異なるが、高齢化にともなう年金制度改革のために厚生年金と共済年金の支給年齢は段階的に引き上げられている。かつ、その中身は定額部分と報酬比例部分に分けて支給しているので、それぞれの支給開始時期が異なる。ゆえに、前述の方の言葉が生まれるのだ。現行では昭和42年4月2日以降に生まれた方は65歳より一斉支給になる。


しかし、昭和42年に生まれた方は2011年の誕生日にて44歳になる方であり、団塊の世代はすでに65歳一斉支給への移行期に受給年齢となるため、財政赤字の大幅な縮小を望めない。
そこで、厚労省が出した先日の改革案。3案が出されたが、なかには68歳への支給年齢引き上げの案もあり、強い反発があった。現行の高齢者雇用は65歳までであることに加え、すべての高齢者が再雇用につける現状ではなく、無収入期間も懸念された。結局のところ、またも先送りされており、その間にも国庫からの流血は止まらない。


すでにアメリカやイギリスをはじめ、欧米各国では進められている年金支給年齢の引き上げ。世界一の高齢化社会となっている日本であれば支給年齢を真っ先に引き上げていてもおかしくはなかった。日本も、年金改革は必要不可欠であり、その改革に多くの人びとは痛みをともなうことを覚悟しているだろう。


しかし、いま出された案は、引き上げによる影響への配慮に欠け、国を守るために国民に痛みを強いているように感じられるなど、国民を第一に考えている印象は受けなかった。人びとは、支給額が減ることや、支給年齢が上がることだけに反発しているのではない。それを補う仕組みの不備や、今までの運用方法に対する疑念が原因なのである。
そして、実行するには国民の今と将来の生活を第一に考え、改革案があらゆる事象に配慮されているだけでなく、人びとにまっとうな理解を得られる説明が不可欠である。個人的には政府や首相による、熱意ある説明を聞いた記憶がない。文章を目にした記憶もない。時には意気込んで訴えかけるような派手な説明でも良いではないか。
改革案に人びとの合意を得なければ、国として前に進むことはできないのである。

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