簡単に覆される押しつけられた道徳

2009年12月03日

事業仕分けも終わり、人びとが普段あまり目にすることのない国家事業を見ることが出来た。「心のノート」も事業仕分けにより、家庭に小中学生の子どもを持たない人の目に触れるようになった1つであろう。


そもそも「心のノート」は97年の神戸連続殺傷事件などの凶悪少年犯罪の多発のため、「心の教育」の試みとして始められた。内容は、問いかけに応じる形で展開しており、児童が感じたことを書き込める形式になっている。道徳教育というものを専門的に教えられる教員も少なく、実際には道徳教育ビデオ、なかには学級活動とする授業もあると聞くなか、道徳教育の教材としては授業の道筋を示す補助教材として役に立っている。


しかし、児童に素直な感情を出させるという効果がある半面、誘導尋問となっているとみられる内容も散見される。また、全国の小中学校に配付されるため多額の予算を要求していたことも、議論として挙がる要因となったのであろう。今回の事業仕分けでは「道徳教育関連予算は大きく縮減」という結果になった。


「心のノート」については、経緯や内容も含め賛否両論あるが、「道徳」という授業をするうえで補助教材があることに異論はない。しかし、考えを植え付けるのではなく、児童の経験則から道徳を身につける授業はできないものだろうか。


そもそも、善悪の判断を授業で押しつけてはいけない。生活のなかで他者とコミュニケーションをとることで経験を積み、思考して得るのが道徳である。机上で教えられた暗記項目のような、道徳基準はこれが望ましい姿という形で児童に学ばせるだけでは、「心の教育」が図れず簡単に覆されてしまう可能性もある。


学校は多くの同年代と触れ合い、対人関係を学ぶ場所としての役目もある。道徳を学ぶのは「道徳」の授業だけではないだろう。放課後や休み時間での他者とのコミュニケーションも、そのための貴重な時間である。小学1年生の約75%が習い事をしているような昨今では、その役目はあまり果たせていないのだろうか。心の教育が必要となった背景に、教育熱心な親の影があるとしたら皮肉な話である。

このコンテンツの著作権は株式会社帝国データバンクに帰属します。著作権法の範囲内でご利用いただき、私的利用を超えた複製および転載を固く禁じます。