平清盛と貨幣経済

昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」は、年間視聴率が歴代大河ドラマのなかで過去最低だったそうである。視聴率が低かった要因はさまざまあると思うが、個人的には第一話から最終話までたいへん面白く視聴した。


平清盛があまり人気のない人物であるのも低迷した理由の一つかもしれない。『平家物語』における記述から、かつては横暴で傲慢な性格の持ち主とされていたが、研究が進むにつれて現在では実際の清盛の人物像は温厚で情け深いものだったといわれている。また、歴史的な業績自体は決して小さくない。日本初の武家政権を樹立し武士の時代を切り開いたこと、厳島神社を増設したこと、日宋貿易の拡大を図ったことなど多々あるが、経済的には日本に貨幣経済を浸透させたことが大きいのではないだろうか。


日本で最初の流通貨幣といわれる和同開珎以降、貨幣は流通していたものの、10世紀後半には衰退していた。当時の日本において、租税は米や糸、労役などで行われ、日常の取引は主に物々交換で行われていた。それに対して、清盛は日宋貿易で得た宋銭を元に貨幣を媒介とした取引を推し進めたのである。物々交換による取引と貨幣による取引と、どちらが経済の発展に寄与するかは自明であろう。


また、多くの公家や武士が反対するなかで、貿易による立国を目指したことは先見の明があったといえる。ただ、この時点では国と国との貿易というよりも、宋と平氏による貿易という色彩が強かった面は否定できないところかもしれない。その後の国同士による本格的な貿易は室町幕府による日明貿易まで待たなければならないのである。
ひるがえって、現在の日中間の取引はさまざまな問題がありつつも、日本にとって最大の貿易取引相手である。貿易の拡大は互いの利益になることも確かである。


私の故郷には清盛が開いた音戸の瀬戸があり、少し贔屓目に見過ぎているかもしれないが、平清盛はもっと評価されていいのではないかと思う。

このコンテンツの著作権は株式会社帝国データバンクに帰属します。著作権法の範囲内でご利用いただき、私的利用を超えた複製および転載を固く禁じます。